プロフィール

はじめまして。

不登校克服カウンセラーの

 出雲そら です。

保育士歴22年。

3人の子供がいます。

~子どもの不登校は自分のせいだ。 

そんなある日、

不登校克服経験のあるカウンセラーの先生との出会いをきっかけに、

私の人生は大きく好転しました。

いま不登校で悩んでいる あなたにも幸せになって欲しい。


そのために、私自身が子供2人の不登校を克服してきた経験を活かすことで、

過去の私と同じように悩んでいる方が幸せになるきっかけになれたら・・・。


そんな思いから、不登校克服カウンセラーになり活動しています。


悩みを解決するためには、カウンセラーとの相性はとても大切です。

もしもこの先のプロフィールを読んで、私に興味を持ってくださり、

私に会いに来て頂けたら嬉しいです。

私は、三姉妹の末っ子として生まれました。両親と祖母、9つ年上の長女、4つ年上の次女、そして私の6人家族。

父が歳をとってから生まれた私は、小さい頃から「おまえはお父さんから一番かわいがられている」と家族や親戚から言われて育ちました。

そんな私の幼い頃の思い出の多くは、夫婦喧嘩の絶えない両親と、それを見てみぬふりの祖母。
怖くて声も出せず、耳をふさいでいる私。

ある日、母親が言った言葉。

「私は、お前がいなかったら〇されていた。」

「一番かわいがられている、お前がお父さんの機嫌を取れ。」

まだ幼かった私は、その母親の言葉を素直に受け入れ、

その言葉を、ずっと背負いながら生きてきました。

『そうしなければいけないのだ』と思い込んで・・・。

この日から私の人生は

『父親の機嫌取り』と『母親を守るという使命』の毎日となりました。

小学生のある日、友達の家に遊びに行った時、ものすごい衝撃を受けました。
”友達が、テレビを見ながら笑っている・・・”

この時はじめて、

『私は家の中で、心から楽しいと思って笑った記憶がない』

ということに気付いたのです。

いつも気を張っていたから。

寝ている時でさえ、いつ父親が暴れだすかもしれなかったから・・・。

9つ歳の離れた長女が中学生くらいで、私が5~6歳の頃だったと思います。

長女がうたた寝をしていて 母にお風呂に入るように呼ばれても入ろうとしなかったときのことでした。

父親が、ものすごい剣幕で姉に暴力をふるい始めました。

今でもはっきりと覚えているくらい、残酷な光景でした。


わたしは、耳をふさいで黙って隣の部屋でその光景を見ていました。

(怖い。助けて。お父さんやめて・・・。)

声に出すことも、泣くこともできませんでした。

でも、目をつむることも、その場を離れることもできませんでした。

”いざとなったら、父から姉を守らなければ・・・。”

そう思っていたからです。

「お前がお父さんの機嫌を取れ。」と、母親に言われていたから・・・。


部屋の入口に立ってその光景を見ていた母親が、姉に「早くお父さんに謝れよ!」というと、

父親は母に向かって「お前のしつけが悪いからだ!」と言って、

今度は母に暴力をふるおうとしました。

すると母親は、「何で私が殴られなきゃいけないんだ!私は悪くないだろ!」といいました。

その後しばらくして父親の姉への暴力は止み、母親は姉の手当てをしていました・・・。


私が母親になってから、この光景を思い出して思ったのです。

「なぜあの時、母は姉を守らなかったんだろう。」

「わたしなら、自分の体を張ってでも子供を守るのに・・・。」

私が小学生の頃、私は両親と一緒の部屋で寝ていました。

夜中に夫婦喧嘩が始まりました。よくあることだったので、いつものように布団にもぐって、2人の喧嘩が収まるのを黙って待っていました。

”おかあさんが殴られませんように・・・。”

”早くお父さんが怒るのをやめてくれますように・・・。”

”お父さんが暴れだしたらどうしよう・・・。もうやめて・・・!!”

怖くても、どうしようもできない。

いつものように ただひたすら、父の怒りが収まるのを祈って待つしかありませんでした。


すると、母が何か叫んで部屋を飛び出していきました。

ビックリして、怖くて怖くて、どうしたらいいか分かりませんでした。

台所で物音がしたので、母が台所にいることはわかりました。


私は しばらく寝たふりをして動かないように我慢していましたが、怖くてそれ以上 父と同じ部屋にいることができず、勇気を出して母のところへ逃げて行きました。

すると母は私の方も見ずに、「こっちへ来るな。来るとよけいにお父さんが怒るから、あっちで寝てろ。」と言いました。


”お母さんのところに逃げて来ちゃダメだったんだ。”

”お父さんのいる部屋に戻って寝なきゃ、お父さんがもっと怒るんだ。”

そう思って、黙って父のいる部屋へ戻り、布団にもぐって母が戻るのを待ちました。


私の気持ちにも、気づいて欲しかった。

「怖がらせてごめんね。大丈夫だよ。」といって、抱きしめて欲しかった。

「一緒にいていいよ。」と言って欲しかった。


せめて私の方を見て欲しかった・・・。

高校の修学旅行に行った時も、「私がいない間に、父が暴力を振っていたらどうしよう・・・。」

心配で仕方がなくて、夜、恐る恐る母に電話をかけました。

「お父さん、大丈夫?」

すると母は、ケロリとした様子で「大丈夫だよ」と笑っていました。


『私がいないと、お父さんからお母さんを守れない』

それまでずっとそう思っていたけれど、

”私がいなくても大丈夫なの?。” ”私は、いなければいないでもいいの?”

母にとって、私が旅行先でもどれほど心配していたか、まるで気にもしていない様子でした。


私は、癇癪持ちの父親が大嫌いでした。

母親をいじめる、暴力を平気でふるう父親を憎んでいました。

いつも心の中で、”いなくなればいいのに”と思っていました。


ところが、私が高校生のある日、母が父のことを祖母に楽しそうに話しているところを見かけて、不思議に思って聞いてみました。

「お母さんて、お父さんのこと嫌いじゃないの?」

すると母は、「そりゃ嫌いだったら一緒にいないわ。」と笑って答えたのです。

「え?・・・なんで?」


その一言を聞いた時、初めて、

『小さい頃から ずっと怖い思いをしながらも、神経をはりめぐらせて

父から母を守ろうとしてきたこと』が、とてもバカバカしいと思えたのです。

私は26歳で結婚。3人の子供に恵まれました。

私は保育士だったので、

『良い子に育てなければ、保育士としても母親としても認めてもらえない』

と思っていました。

『良い子に育てるため』一生懸命、愛情いっぱい子育てをしてきました。

十数年後、その考え方が 自分も子供たちの事も苦しめていたということを

思い知らされることになりました。

次男が中学1年生の6月頃から、「クラスの半分以上が僕の敵だ」と言って、

入学してわずか3か月で不登校になりました。

朝、時間になっても起きてこない。

無理やり起こしても、背中を丸めて動かなくなる次男。


仕方なく学校を休ませると、夜寝る前に、「明日は行くよ。」

…そう言って寝ても、朝になると起きれない。

『どうして学校へ行けないの?』

『私の子が不登校?』

『このまま学校へ行けなくなったら、この子はどうなるの?!』

母親として、学校へ行かせることが良いのか?

それとも、休ませてあげることが良いのか?

何もかもが、どうしたらいいのかわかりませんでした・・・。

学校を休むようになり、次男の生活はゲームをやり続け、昼夜逆転。

一日中パジャマ。歯も磨かない。お風呂に入らない日も。

ストレスで、息子の眉毛は抜けていきました・・・。

そんな次男に

どうしてあげることが良いのか?

なんて声をかけるのが良いのか?

私の気持ちは心配や不安でいっぱいでした。

当時の学校の先生は、

優しく親身に寄り添ってくださいましたが、

不登校の知識や経験は乏しく

「どうしてあげることが良いのでしょうね・・・」という感じでした。

1年生の時の担任の先生は次男の事をよく理解して下さる先生で、

息子は少しずつ先生を信頼し始め、放課後に登校できるようになりました。

その先生が大好きになった次男は、どんどん表情が明るくなりました。

『2年生になるのをきっかけに、学校に行けるようになるかもしれない・・・』

と期待していました。

でも、2年生の担任の先生は、初日から次男とした約束を忘れてしまい、

その約束を忘れいたことに気付いても、次男に謝ることはありませんでした。

次男の気持ちは、そんな先生の罪の意識のない言動によって、

また少しずつ表情が暗くなっていきました。

そして中学2年生の秋、再び学校に対して心を閉ざすようになりました。

私は、そんな先生と次男の様子をスクールカウンセラーに相談し、

学校側に伝えてもらえているはずでした。

ところが、次男が再び心を閉ざし始めた頃、

全く伝わっていなかった事がわかりました。

私も次男も、学校や先生に対して気持ちがズレていくばかりでした。

『スクールカウンセラーの先生が頼りだったのに…。』

私には、誰も頼れる人がいませんでした。

唯一頼れるはずの夫は、普段から次男のマイペースさを『わがまま』だと捉えていたので、

次男には、兄弟の中でも特に厳しく接していました。

学校を休んだことを知ると「ズル休みするな!」「学校行かなきゃダメだろ?!」と、

頭ごなしに叱る。

ますます次男が心を閉ざしていくのが目に見えて分かったので、

『夫にも相談できない。』と思いました。

学校の面談で「僕は仕事で 朝も早いし帰りも遅いから、あまり関わることができないので。」と言ったことが、私には責任逃れをしているように聞こえ『ずるい』と思いました。

いくら話しても私や次男の不安な気持ちを理解してもらうこともできず、相談することもできず・・・。
私の夫に対する気持ちには、溝が深まるばかりでした。

小さい頃からいつもニコニコ笑顔で、人懐っこかった次男。

ひょうきん者で人を笑わせることが大好きで、クラスのムードメーカーでした。

その次男が、当時は外に出るのもやっと。

車に乗っていても、学校の制服姿の子を見かけるだけで

車のシートに潜り込んで隠れるほど、友達が怖い…。学校が怖い…。

次男がこんなに辛そうに苦しんでいるのに、

私は母親としてあまりにも無力でした。

悔しさと、情けなさと不安。

孤独感と罪悪感がいっぱいで、毎朝 涙が出てきてしまいました。

兄と弟は、二人とも全国大会出場レベルのスポーツをしていました。

そのため私は、兄たちの練習の送迎や遠征・大会などで、

平日はもちろん、休日も早朝から深夜まで 仕事以外の時間は兄達のサポートが中心でした。

”一生懸命頑張る我が子は、私の誇り”でした。

良い成績を収めることができたときは、もちろん嬉しかったです。

今思えば、「子供の成績は、母親としての評価」

のように思っていたところがあったのだと思います。


自分に自信がなかったから・・・。

他のお母さん方と応援することも、

「1人じゃない。」 「仲間がいる。」「私の居場所。」

と思っていたのかもしれません。

1人は寂しかったから・・・。

次男が不登校になって初めて、私は兄たちのサポートにばかり一生懸命で、

次男の気持ちに寄り添えていなかったのかもしれない・・・と思いました。

次男は、小さい頃からいつもニコニコ笑っていて、

人懐っこくて、朗らかで、

知らない人にも好かれてしまうような子でした。

私は、そんな次男が大好きでした。

次男は早産、わずか8か月で生まれ、

体重は1295グラム。

生まれたとき、お医者様から

「今夜が山かもしれません。」「生きることができても障害が残るかもしれません。」

そう言われたときは、意識が遠のくほどショックで、

「生きていてくれるだけでいい。」そう思いました。

おかげさまで、0歳から3歳までに3度の手術をしましたが、

何の障害もなく元気に成長してくれました。

「生きていてくれるだけでいい」 そう思ったはずなのに、

どんどん欲が出るものですね…。

「片づけをしなさい!」「勉強しなさい!」

あげくの果てには、言うことを聞かなかったことに腹を立てて

車庫に入れたことがありました。

これは、私が小さい頃、父親にされて今でも覚えているくらい怖かったことなのに、

同じことを息子にしていたんです。

次男の良さを褒めるどころか、「できないこと」ばかりに気を取られて叱ってばかり。

「不登校になるほど、息子は自分に自信を無くしてしまっていた。」

「不登校になるまで、そんな息子の気持ちに気付いてあげられなかった。」
きっと息子は、今までにサインをくれていたはずなのに…。

母親失格だ・・・。ごめんね・・・。

この頃の私は、次男の不登校の原因は、

「次男の心の寂しさ」が原因だと思っていました。

後悔していても仕方ない。

今までの分、この子との時間を大切に過ごそう・・・。

次男の笑顔と自信を取り戻すために何かヒントはないか?

たくさん不登校の本を読んだり、ネットで検索したりして、

良いと思うことを全部やり続けました。

そうして過ごした3年後、次男は自分の意志で通信制高校に進学

その後私立大学に推薦入学しました。

あんなにも人に会うことを恐れていたのに、

自分からコンビニのアルバイトもはじめました。

不登校中では考えられなかった、まさに奇跡のような展開でした。

そんな次男の逞しく成長した姿を見て、

『不登校を克服した!!』…と思っていました。

ところが・・・。

三男は幼少期から、自分の気持ちをあまり言わない子でした。

大きくなるにつれ、会話も少なくなりました。

でも、部活も学校生活もよく頑張っていて文武両道できていたので、

『会話が少ないのは思春期だからだ』と思っていました。

そして高校1年生の冬休み明け、突然、学校へ行けなくなりました。

2人目の不登校の始まりでした。

高校へ入学してから、成績は目に見えて落ちていました。

でも、まさか三男まで不登校になるなんて・・・。

この子には、スポーツのサポートもずっとしてきたし、一生懸命に関わってきたはずなのに。

次男のような心の寂しさはないはずなのに、「どうしてこの子まで?!」 

2人も不登校になるなんて、「完全に私のせいだ。」「私の育て方に問題があるんだ

自分の気持ちを言わなかったのも、会話が少なかったのも、

性格でも思春期のせいでもなくて、「私がそうさせてしまっていたんだ。」

「私はダメな母親なんだ…。」

「今まで苦しめていたんだんだね…。ごめんね…。」

そう思ったら、涙が止まりませんでした。

次男の経験があったおかげで、三男の不登校を受け入れることはすぐにできました。

だから、『プロの力を借りれば、早く学校へ戻れるかもしれない。』

そう思っていたある日、SNSで『娘の不登校半年で解消』した方の「お試し相談」を発見

とても 、とても・・・迷いました。

でも、『私も半年で不登校解決したい!』という一心で、

勇気を振り絞ってお試し相談のお申し込みボタンを押しました!


この「お申し込みボタン」こそが、私のハッピーライフの始まりでした!

私の人生を、大きく好転させてくれた先生との出会いへと導いてくれたのです! 

初めてのお試し相談は、緊張と警戒心でいっぱいでした。

色々話していく中で、「プロの手を借りずに、一人でよくそこまで頑張りましたね。」と、

先生は私を褒めてくれました。

そして、だんだんと私の緊張と警戒心は緩み、

素直に先生の質問に答えていくことができるようになっていました。

あっという間に お試し相談の時間は終了。

「あなたの理想の明るい未来を実現するために、

もう少し、お話しする時間を続けませんか?」

・・・先生のその言葉に、私はすぐに ”YES” と言えませんでした。

でも、『息子の明るい笑顔を取り戻したい!!』

その一心で、カウンセリングを受ける決心をしました。

そして、この決心をしたことが、私のハッピーライフの始まりでした!!!

はじめは三男の不登校克服が目的でした。

でも先生と話していくうちに、息子達の不登校の原因は

『私の生きづらさ』だったということに気付かせて頂けたのです。

幼少期、私はずっと親の顔色をうかがって生きてきました。

まさに、『他人軸』の人生だったんです。

カウンセリングを繰り返していくうちに、

心の奥で無意識に感じていたネガティブな感情に気づき、その感情を受けいれていくことで、

『自分の気持ちに素直に生きていいんだ』と思えるようになりました。


そして、もう他人の事を気にしなくていいと思えるようになったおかげで、

今まで味わったことのない心からの解放感を感じました。

毎朝、「あ~~~!なんて幸せなの!!!」

という気持ちで過ごせるようになったのです!

『自分の気持ちに素直に生きていいんだ!』

そう思えるようになって、心が解放されるのを感じました。

心が軽くなり、毎日を気楽に楽しめるようになっら・・・。

ある日、三男が自分から

自分の進路についての考えを話してくれたのです。

だんだんと表情も明るくなり、家での会話も笑顔もとても増えました

家族で笑って話したり、一緒に外出する時間も増え、

家族みんなが笑顔ですごせるようになりました。


私にとって不登校は『ハッピーライフのはじまり』だったのです。

そしてもう一つ。

次男が不登校になった頃は、夫婦仲は最悪でした。
『子育てが終わったら離婚するんだな。』とまで思っていました。

それが今は、自他共にビックリするほど仲良しになりました。

今思えば、次男が不登校になった頃は、

私自身の不安や焦りを夫にぶつけていたのでしょうね。


次男や私の毎日のどうしようもない苦しい気持ちを理解してほしくて

一生懸命伝えているのに、理解してもらえない。伝わらない。無反応。

『最悪だ。』

そんな私達だったから家庭環境は毎日が険悪ムードでした。

今思えば、夫自身も子供とどう関われば良いのか分からないから、

私の気持ちにも応えられなかったのかもしれません。

夫は、どんなに私が私の感情をぶつけても、いつも冷静でした。

その冷静さが、気持ちを理解してもらえていないように感じてしまって、

その頃の私にはとても辛かったのです。

でも今になれば、夫まで感情的にならずに大きな器で私を受け止めてくれていて

良かったな…と思えます。

私は、子供の気持ちにも 夫の気持ちにも気付けていませんでした。

そんな余裕はありませんでした。

なぜなら、私が、私自身の気持ちに気付いていなかったから。

自分で自分を大切にできていないのに、

自分が一番愛されたいと思っているのに、

自分以外の人を大切にすることはできませんよね・・・。

今なら、それが分かります。でも、それが分からなかったのです。

その大切さを、知らなかったのです。

カウンセリングを受け、自分が無意識に蓋をしていたネガティブな感情に気付いてから、

本当に全てが変わりました。

あんなにもみんなが孤独で苦しかったのに

私も家族も、みんなハッピーになれたのです!!

自分では気付けなかった

誰かに助けて欲しかった、

どうしたら良いかを教えてくれる人を探していた、

不安でいっぱいだったあの頃。

誰かに話を聞いて欲しかった。

「大丈夫だよ。」と言って欲しかった。

だからこそ今、お子様の不登校で悩まれ、

辛かったり 苦しかったり 寂しかったり、必死に頑張ってる方がいたら・・・。

今の私のように

生きづらさから解放され、心から幸せになってほしい

あなたとお子様と、

ご家族の明るい未来のために私の経験が何か少しでもお役に立てるのなら・・・。

そんな気持ちから、

私は 不登校克服カウンセラーの道へ進み活動しています。

~最後まで読んで下さって、ありがとうございます~

あなたの明るい未来のために

まずは〈お試しカウンセリング〉を受けてみませんか?