プロフィール

はじめまして。

不登校克服カウンセリング「虹色オアシス」の 出雲そらです。

お子さんの不登校を前に、こんな気持を抱えていませんか?
「どうしたらいいの?」と、対応の仕方が分からない
「このままでは将来どうなるの?」と、不安や孤独を感じている。
「私の育て方が悪かったの?」と、自分を責めてしまう。

私は、そんな親御さんが、一人で悩みを抱え込まず、
家族みんなが安心して笑顔を取り戻し、ホッとできる居場所となるようにーー。
その想いを大切にしながら、一緒に歩んでいくカウンセリングを行っています。

私はかつて、子ども2人が学校に行けなくなったことで、深い悩みと孤独を抱えました。
「どうしてうちの子が…?」
「このままで将来はどうなるの?」 …そんな不安に押しつぶされそうになりながらも、試行錯誤を重ね、子どもと向き合う毎日でした。

そして気づいたのです。
子どもにとって大切なのは、安心できる居場所(家庭)があること
そして、お母さん自身が「大丈夫」と思い、その安心感で子どもを支えられていることです。

だからこそ、今度は私が、同じように悩むお母さんたちの力になりたい。
そんな想いから、「虹色オアシス」を立ち上げました。
私のカウンセリングでは、お母さんの気持ちに寄り添いながら、お子さんの状況に合わせた具体的なサポートをご提案します。

お子さんの未来を信じ、一緒に明るい一歩を踏み出していきましょう。

幼少期の頃、私は お絵描きが大好きな、おとなしい子で、夫婦喧嘩の絶えない家庭で育ちました。
私の父は内弁慶で癇癪持ち。
私の幼少期の思い出で一番初めに出てくるのは、父が母に馬乗りになって暴力を振るっている光景です。

そんな家庭の中、私は年が離れた三姉妹の末っ子のため、「お父さんに一番可愛がられている」と言われていました。
そんな私が小学生になった頃、母が私に言いました。
「お前はお父さんのお気に入りなんだから、お父さんの機嫌はお前が取りなさい」

”お母さんを守るために、私がお父さんの機嫌を取らないといけない”…この時から私は、「お父さんの機嫌を取り、お母さんを守るため」に生きてきました。いつもいつも、寝ている時でさえ突然暴れだす父の顔色、声色、足音…すべてのことに気を張っていました。

父の機嫌が悪そうなときは、必死で笑顔を作り、父の機嫌を取ろうと必死に話しかけました。
でも、癇癪が起きたらどうしようもなく…。

怖くて怖くて、泣くことも、助けを求めることもできずただ父の癇癪が収まるのを祈ることしかできませんでした。

私が小学生で両親と同じ部屋で寝ていたある晩。夜中に夫婦喧嘩が始まり、母は私を置いて台所へ逃げていきました。
怒り狂う父に恐怖を感じ、母を追いかけると、「お前がここにいるとお父さんが余計に怒るから、部屋に戻れ!」と言われました。
私は母に拒絶されショックを受けながら、震える足で寝室へ戻り、自分の布団に潜り込みました。
「お母さんは、私の気持ちを分かってくれない。受け止めてもくれない。」
ショックでした。
それでも、「私が感情を出すと父が余計に怒る」と思っていた私は、泣くことも我慢して、布団の中で目を固くつむり、耳を塞いでいる事しかできませんでした。

姉が父から暴力を受けても守ろうとしない。姉を守るどころか、自分の身を守ろうとする母…。私が成長していくにつれ、母への不信感が募り始めました。

私が高校生になった頃、祖母に母が嬉しそうに父の話をしているのを聞いて違和感を感じました。”私はこんなにも毎日恐怖心でいっぱいで,父なんていなくなればいいと思っているのに、どうしてそんなに楽しそうに父の話ができるんだろう?”そう思って、母に尋ねました。

「お母さんはお父さんの事嫌いじゃないの?」すると母は、「そりゃ、嫌いだったら一緒にいられないよね」…そう言って笑いました。この時、私は母に絶望しました。”こんなにも神経をすり減らして、毎日毎日お父さんの顔色をうかがって機嫌を取ってお母さんのことを守っているのに、なんでそんな楽そうにそんなこと言えるの?!”

「私の気持ちを何にもわかってくれない」「受け止めようともしてくれない」「気づこうともしない」子供を守るどころか、子供を盾にして自分を守ろうとするなんて母親失格だ!!母が許せない!!

26歳で結婚し、3人の息子に恵まれました。私は自分の母を反面教師とし、「絶対に子どもたちを幸せにする」「温かい笑顔いっぱいの家庭にする」と決めていました。

優しくて良い子に育てよう。

そのために、私が良いと思うことを一生懸命にやってきました。色々なことを体験させたい。英語やスポーツ。礼儀正しい子になって欲しい…。色々な期待をいっぱいに、子どもにとって良いと思うことはどんどんやらせたい。色々な経験をさせたい。色々なものを見て、たくさん遊んで、たくさん食べて、たくさん寝て、健康で笑顔いっぱいに育って欲しい。

「子どものために…」一生懸命な毎日でした。

長男は、とても繊細な子でした。年中の時、ことばの教室への通級を勧められました。その頃の私は、”ことばの教室は支援が必要なお子さんが行くところ”だと思っていたので抵抗がありましたが、「メンタルの強い子になって欲しい」という思いから通級することにしました。

はじめは「子どものために」と、通い始めたことばの教室でしたが、「繊細な長男を強い子にしなくては」とコントロールしようとしていた。
”良い母親&良い子になるため”に「一生懸命になりすぎていることが、子どもが感情をコントロールできない子になっている」と気づかされました。

でも私は、この先もまだ「一生懸命子育てをする」ことを続けていきました。

次男は、とてもマイペースな性格で、何をやるにもゆっくり。宿題をやることも苦手で、先生に叱られると、2~3日学校を休むことも多かったです。でも、ひょうきんな性格で人を笑わせることが好きだったので、中学へ行って友達をたくさん作りたいと希望に胸を膨らませて入学しました。

ところが中学1年生の5月頃、次男は「クラスの半分以上が僕の敵だ」と言うようになりました。

そして7月には、完全に不登校に。

朝、起きてこない。起こしても、布団から出ようとしない。布団から引きずり出してみても、ダンゴムシのように体を丸めて動かない。

仕方なく学校へ欠席の連絡をして出勤。私が仕事から帰ると、「明日はいくよ」と言う。でも、次の朝もやっぱり起きてこない。

何日も休んで、息子自身も 「これ以上休むと、余計に行きにくくなるよな…」 と言っていました。朝になると起きられないのは、起立性障害なのかもしれない?と受診しましたが、異常なし。

「学校へ行きたい」と言うのに行けない。そんな息子にどうしてあげればいいのか?無理やりでも連れて行けば良いのか、休ませた方がいいのかもわかりませんでした。

ゆっくり穏やかに次男の話を聴いたり、なだめたり励ましたりして、明日こそ行けそうだと思ったのに、やっぱり行けなかったときは、「今日も行けなかった…」と、愕然とし、毎日毎日、学校へ欠席の連絡をすることも辛くなりました。

「私は次男にどうしてあげればいいんだろう…」「なんて言ってあげたらいいんだろう…」
学校の先生も、対応は試行錯誤。
スクールカウンセラーも、共感はしてくれるけれど何も解決してくれない。
心療内科も、心理検査をイヤイヤ受けるのがやっとで通院は不可能。(心理検査の結果、特に異常なし。)
ママ友も、親身にアドバイスをしてくれるけれど、「気持ちは嬉しいけど、そうじゃないんだよな…」

”やっぱり、不登校の気持ちは、経験した人にしか分かってもらえない…”

唯一、息子のことも学校のことも話せるのは夫だけでした。
でも…。

次男のマイペースさにイライラすることの多かった夫は、次男の不登校は「ズル休み」だと思っていました。仕事から帰って、次男が学校を休んだことを知ると、「今日もズル休みしたのか?!いい加減にしろ!!」と、頭ごなしに叱り、次男はますます心を閉ざしていきました。

夫の言葉に傷つき、辛そうにしている次男を見ていると、”どうして、そんな言い方しかできないの?”と、夫に怒りが湧きました。

「本当は学校へ行きたいと思ってるんだよ。でも、行きたくても行けないんだって」「まず、次男が元気になれるように、次男の気持ちを大切にしてあげようよ」と話しても、全く理解してもらえませんでした。


”夫には相談できない” ”頭ごなしに叱るくらいなら、関わらないで欲しい” そう思うようになった私は、夫には一切相談をしなくなりました。

他に相談できる人もいない。どうしたらいいかも分からない。次男が少しでも学校へ行けるように、言葉を選んで気を遣って過ごす毎日にも、精神的に限界を感じていました。
学校の先生との面談で「僕は仕事で朝も早く帰りも遅いので、次男とはなかなか関われないんです」…この言葉を聞いた時、仕事のせいにして不登校に向き合おうとしない夫「最悪だ」と思いました。「子育てが終わったら、離婚だ」そう思うようになりました。
夫婦関係は冷め切り、暗い雰囲気が漂う毎日。夫婦関係も私の精神面も、崩壊寸前でした。

「私一人で頑張るしかない」「私にできる事は何だろう?」

不登校に関する本を読みあさり、SNSで情報を集め、良いと思うこと、自分にできる事を精一杯やりました。学校や担任の先生との連携も諦めませんでした。

担任の先生は、次男と関わることを丁寧にして下さるようになり、そんな先生に心を開き始めて、朝や放課後だけに登校したりできるようになっていきました。

進級を機に登校できないかな…という私の期待もむなしく、2年生になっても学校へは行けませんでした。でも、研修旅行には行かせてあげたかったので、同じ場所へ私と2人で旅行に行きました。
イルカウォッチングで野生のイルカを見ることができたとき、「お母さんと来てよかった」と言ってくれたので、職場に無理を言って休みをもらったけど、”来て良かった…”と思いました。

そして、3年生の修学旅行も、私と2人で東京へ行きました。楽しくて、あっという間の2泊3日でした。帰りの新幹線で、「どこが一番楽しかった?」と聞くと、次男は、「上野動物園のパンダ」「お母さんが一番嬉しそうに笑ってたから」と言ったのです。「私が嬉しそうに笑っていた所が、一番楽しかったの…?」涙が止まりませんでした。

この頃の私はもう、学校へ行かないことに何の抵抗もなくなっていました。1年生の時のように泣いたり悩んだりすることもなくなっていました。でも、このとき、息子の気持ちを初めて感じました。

「僕が学校へ行けないから、お母さんは悩んでる」「お母さんに笑っていて欲しい」そんなふうに、思っていたんだね…。

中学3年生のお正月。家族で初詣に行き、次男がおみくじを引きました。そして、「”寒い冬が終わって暖かい春が来る”って書いてある」と、とても嬉しそうに見せてくれたのです。 このとき、「次男にとって、不登校の3年間は”寒い冬”だったんだと気づかされました。

次男は、自分で通信制高校への進学を決めました。中学の頃は、車に乗っていて制服姿の子を見ただけで、車のシートに潜り込んで隠れるほど、「生徒が怖い」「学校が怖い」状態でした。

そんな次男が、高校1年生の夏休み明けから「バイトに行きたい」と言って、コンビニでアルバイトをするようになりました。中学時代から思うと、まさに「奇跡」でした。

高校へも行けるようになり、ずっと家に引きこもっていた次男がバイトに行けるようになって、「やっと不登校を克服できたんだ!!」と思いました。

次男は、高校3年間、1日も休むことなく通い、希望した私立大学へ推薦で入学することができました。

ホッとしたのもつかの間。三男が高校1年生の冬休み明けから不登校になってしまったのです。

成績は、テストのたびに順位が下がっていました。「今日学校休もっか?」とふざけて言う日も何度かありました。でも、まさか本当に不登校になるなんて…。

学校へ行けなくなった日の前日、私は三男にひどく腹を立てて怒鳴ってしまいました。

三男には国公立の大学へ行くように勧めていました。それなのに、「大学行くのやめるわ。やりたいこともないのに行くのもったいないし」と突然言われて、期待していた分、ショックが隠し切れなかったのです。

今思っても、”なんであんなに怒ってしまったんだろう…”と、自分で自分が嫌になります。そして、その翌日から三男は、朝起きれなくなったのです。後悔してもしきれませんでした…。

次男には、元気に笑顔を取り戻してくれればいいと思っていました。でも、私の中に「こうあるべき」「こうして欲しい」の期待がなくなっていたわけではなく、それを三男にぶつけていた。
成績も良い、学校にも行けている。だからこそ、「国公立」「優等生」という強い期待をしていたのです。

次男の不登校を克服し、安心していました。でも、三男が不登校になって、「2人も不登校になるなんて、完全に私のせいだ」「私に原因がある」と確信しました。

不登校解決は自己流ではダメだったんだ…。なんとかしなきゃ。」そう思っていた時、『娘の不登校を半年で克服』した方のSNSを見つけました。「次男の不登校を解決できたんだから、プロの手を借りたら早く復学できるかもしれない」そう思った私は、その方の「お試し相談」を申し込みました。

申し込むには、とても勇気がいりました。でも、「息子の笑顔を取り戻したい」「早く復学させたい!」その一心で、カウンセリングを受ける決意をしました。そして、この先生との出会いが、私の人生を180度好転させてくれたのです!!

カウンセリングを受けていくと、どんどん私の生きづらさがあったことに気づかされていきました。今まで、人に気を遣うことが「あたりまえ」だと思ってきました。でもそれは、「他人軸な人生」だった。自分の人生を生きることができていなかった。それは、幼少期、母に言われた一言。

「お前がお父さんの機嫌を取れ」

この言葉が、私の生きづらさの始まりだったということに、気づかされたのです。
「自分は母に受け入れてもらえない」「母のために頑張らないといけない」そのために、いつも父の顔色をうかがっていないといけない…。幼少期からずっと、それが ”あたりまえ” だと思って生きてきた私は、大人になってもいつも自分の感情を出さないように ”蓋” をし、他人の顔色をうかがい、機嫌を損ねないように気を遣って生きていました。

”私が感情を出さなければ父はそれ以上怒らない”
”父を怒らせなければ、母の言いつけを守れる”
”そうすれば、私は母から認めてもらえる”…と信じて。

私はずっと、「母に認めて欲しかった」。でも、それを認めてもらえたことはありませんでした。

母になってからは、子どもの幸せのためと思って一生懸命子育てを頑張ってきました。
「元気で明るい子。成績が優秀な子。みんなに好かれる優しい子」そんな子に育てることが私の理想でした。そして、そんな理想の子に育てることは、「良い母親」と認められるのだと信じて、母として一生懸命に子育てを頑張っていました。

親に認められなかった悲しみ、虚しさ。だから、誰かに認めてもらいたかっ。そのために、良い母親になろうとして頑張った。その想いが「子どもをコントロール」しようとしていたことに気づかされたんです。
もちろん無意識でした。だからこそ、そのことに気づかされたときは、本当にショックでした。
「子どもに幸せになって欲しかった」でも、私が望む幸せが、子どもにとっての幸せの道じゃなかった。

でも、子どものありのままを愛すればいい成績が悪くても、学校に行けなくても、息子が元気に笑っていてくれることが幸せ不登校でも、息子がやりたいと思うことをやって、息子が自分の気持ちに素直に生きてることの方がずっと大事学校なんて行かなくていい。人にどう思われたって関係ない息子が幸せならそれが最高!心からそう思えるようになったんです。

子どもはちゃんと考えている。子どもの問題は、子どもが自分で向き合って解決していく。そして親は、子どもを信じて見守る。でも、子どもがいつでも相談できたり、自分の気持ちを素直に話せるような「安心感のある居場所」になる。それが、不登校の子どもにとって、一番大切なことなんだと気づくことができました。

カウンセリングを受け、自分の中にあった「ネガティブな感情」に気づき、その感情を受け入れ癒していくことができると、私自身の生き方も変わっていきました

もう「他人の目を気にしなくてもいいんだ!」と思えるようになったのです。

「自分の気持ちを大切に、自分の気持ちに素直に生きていい」そう思えるようになったら、毎朝が幸せで楽しくて、「人の目を気にしなくていいって、なんて幸せなんだろう!!」と、心が解放されていく感じがしたことを 今でもはっきりと覚えています。

人にどう思われるかなんて気にしない。私は私の気持ちを大切にしよう。自分が良いと思うことをして、自分がやりたいと思うことをやろう。そんなふうに過ごせるようになったのです。

そして、子どもが学校に行かないことも、他人の目も気にならなくなったある日。息子が自分から「バイトしたい」と話してくれました。そして、「学校を転学したい」と。

次男が通信制高校に通いながらアルバイトをしてお金をため、大学に行った姿を見ていて、三男なりにいろいろ考えて話してくれたのでした。

私も主人も、三男の気持ちを受けいれ、三男が自分で決めた道を応援することを伝えました。

次男が不登校になった頃は、子どものことも私のことも理解しようともしない夫に嫌気がさして、子育てが終わったら離婚しようと思っていました。

何を言っても分かってもらえない。私が調べて良いと思った、不登校や子育てに関するSNSを見せてみたり、本に付箋を貼って、「ここだけでいいから読んでみて」と渡しても、何の反応もない。むしろ、批判したり拒絶するような状態でした。

”せめて私の気持ちを聞いて欲しい。吐き出し口になって欲しい” …そう思って話したり、手紙を書いてみたりもしましたが、全く受け入れてもらうことはできませんでした。

「この人は、なんでこんなに分かってくれないんだろう…」そんな感情が限界になった時、私は言葉を発する気力もなくなり、夫がビールを冷やすために入れていた、氷の入った冷水入りのボールを、夫に向けて投げつけていました。

次の日から、夫のお弁当を作ることもやめました。夫婦の会話も必要最小限。もう夫との関係は「終わった」と思いました。

でも、カウンセリングを受け、自分の気持ちや生き方が変わってくると、夫も知らないうちに変わっていました。

頭ごなしに次男を叱っていた夫が、仕事から帰ると息子とゲームの話をしていたり、夏休みの課題を一緒にやってくれるようになったのです。

三男が高校に行くようになった頃には、息子達から「最近お父さんとお母さん仲いいよね」と言われるほど、仲良しになりました。暗くて静かな雰囲気が日常だった我が家は、「前は最悪だったけどね」と、笑い話をするくらい、家族みんなが笑顔になり明るい家庭になりました。

カウンセリングを受けたことで、不登校を解決しただけでなく、夫婦関係も家族関係も、私自身の生き方も変わり、最高にハッピーな人生を送れるようになったのです!

私の経験を活かして、今悩んでいる人に”幸せになる方法”を伝えたい。そして、笑顔になって欲しい。そのために「私もカウンセラーになろう」と決意しました。
それまでの私は、特別な才能もなく、目立つことのない、ごく普通の保育士でした。そんな私がカウンセラーになるなんて!何よりも自分自身が一番驚きました。

起業を目指して参加した講座では、心から信頼し合い、助け合える仲間や先生方と出会いました。そして、その講座の研修で訪れた北海道で、忘れられない出来事がありました。

飛行機が離陸した瞬間、なぜか涙があふれ、止まりませんでした。最初は戸惑いましたが、やがて気づいたのです。これは、
「私が本当にやりたいことをやれていること」「行きたい所に行けること」
「会いたい人に会いに行けること」が、心から嬉しくて流れた涙なのだと。

それまでの私は、常に「誰かのために」と自分の気持ちを後回しに生きてきました。

「連休取るなんて職場に迷惑かけるから無理」「子どもを置いて家を空けるなんてできない」「自分だけ旅行に行くなんて贅沢すぎる」
ーーそんなふうに、自分の気持ちを押し殺してきたのです。

でも、今は違います。
私は、自分の気持ちを大切にし、行動できるようになりました。
「やりたいことをやる」
「行きたい場所に行く」
「会いたい人に会いに行く」

その喜びを、今は全身で感じています。

不登校が始まった時、毎日が辛くて、苦しくて、不安でいっぱいでした。誰かに相談したくても誰に相談したらよいかも分からず、1人で必死に不登校に向き合おうと頑張ってきました。

でも、カウンセリングを受けたら、私の悩みの根本原因がわかり、不登校を解決するだけでなく、私自身の生き方が変わり、人生が180度好転したのです。

”この経験を活かしたい。私と同じように不登校で悩んでいる方や、無意識に必死にがんばっている方に笑顔になって欲しい。”

そんな想いから、不登校カウンセラーになり、活動しています。

あなたは今、先の見えない不安でいっぱいかもしれません。
でも、大丈夫。あなたも、必ず笑顔になれる日が来ます。

私のカウンセリングでは、お母さんの気持ちに寄り添いながら、お子さんの状況に合わせたサポートをご提案します。
あなたが「大丈夫」と思えるようになれば、必ずお子さんも変わります
どうか、一人で抱え込まないで下さいね。

あなたとお子さんの未来が、今よりもっと輝くようにーー
心から応援しています。

~最後まで読んで下さり ありがとうございます~

私と一緒に、あなたの幸せな未来を実現していきませんか?
まずはゆっくり、あなたのお話を聞かせていただけたら嬉しいです。